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9月10日(日)毎朝のお経と法話の会

歎異抄


歎異抄・第九条

一 「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこ
ころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬ
は、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん」と、もうしいれてそうらい
しかば、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よく
よく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬ
にて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。よろこぶべきこころをおさ
えて、よろこばせざるは、煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩
悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときのわれ
らがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。また浄土へい
そぎまいりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやら
んとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せ
る苦悩の旧里はすてがたく、いまだうまれざる安養の浄土はこいしからずそうろ
うこと、まことに、よくよく煩悩の興盛にそうろうにこそ。なごりおしくおもえ
ども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきな
り。いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあわれみたまうなり。これにつ
けてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じそうらえ。踊躍歓
喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまいりたくそうらわんには、煩悩のなきやら
んと、あやしくそうらいなまし」と云々

本日の歎異抄・第九条 講義文
続いて、
また浄土へいそぎまいりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死
なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。(真宗聖典六
二九~六三〇頁)
といわれます。ここに「煩悩の所為」という言葉がまた出てきました。
「いささか所労のこともあれば」というのは、それほど重大な病気ではなくて
もということです。少しばかり疲れたり、具合が悪いというようなことがあると
、すぐに死んでしまうのではないかと、心細く感じるということです。そのよう
に心細く感じることも、煩悩のしわざですよと、こういうことをおっしゃるとい
うことは、親鸞聖人というかたが、私たちと同じように、心細さということを感
じて、知っておられるということです。

(いささか所労のこともあれば 251頁5行目~251頁後5行目)

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