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Home トップページ  >  今月の法語  >  それでも人生にイエスと言うブーヘンヴァルトの下の歌

2017年11月

それでも人生にイエスと言う

ブーヘンヴァルトの下の歌

この言葉はV・E・フランクル氏が第二次世界大戦中に、ナチス(当時ユダヤ人を差別した)によって強制労働収容所に送られた自らの苦悩体験を語った講演録のものです。

V・E・フランクル氏は『夜と霧』という著書でも知られているユダヤ人精神科医です。同じ強制収容所で多くの家族を失いました。

収容所に送られて、もう何も自分の人生に期待できない。そのような絶望にあっても、ブーヘンヴァルト強制収容所の囚人の方々が、「それでも人生にイエスと言う」という歌をつくって歌ったということがフランクル氏の講演録に書かれてありました。

私達は「何故自分だけが」「こんな人生に何の意味があるのか」と思う時「自分の人生にもう何も期待できない」と苦悩します。

しかしこの歌の言葉は「自分の人生にもう何も期待できない」ではなく「人生は私に何を待っているのか」という転換の意味に聞こえました。

「期待」の「待」の字は「まつ」という字です。親鸞聖人の言葉は「待つ」ということをどのように説かれているか。

「迎」は、むかうるという、まつという。他力をあらわすこころなり。
(真宗聖典551頁・『唯信抄聞意』)

仏(他力)は私達を迎えようと待っている。
私達は「自分の人生にもう何も期待できない」とさいなまれている時は、自分をも見捨ててしまうほどに苦悩します。

しかし、そのような苦悩を、寧ろ仏は大切に見つめていました。

「それでも」仏は見捨てずに迎えようと待っていた。

だから、どの時代どの人の戦争や差別や虐殺やイジメにおける絶望や苦悩、又私達それぞれの絶望や苦悩を、仏は大切に念(おも)ったのです。迎え入れたくなったのです。だから待つ存在となったのです。

だから仏はそれぞれの人の苦悩に、大切な願いをかけて救いたくなったのです。

その願いは南無阿弥陀仏です。

仏自らの願いが南無阿弥陀仏の声となって、私達の絶望や苦悩に聞こえさせたくなったのです。聞こえることを待っているのです。

「それでも人生にイエスと言う」源泉は、私達側の期待や願いにあるのではなく、向こう側から待っている願いの声にあるのでしょう。

「自分の人生にもう何も期待できない」という苦悩から、「それでも仏は私に何を待っているのか」という転換の意味が南無阿弥陀仏。

ブーヘンヴァルトの下(もと)の歌の大切さを、親鸞聖人の言葉に重ねて考えさせて頂きました。

森林公園昭和浄苑支坊 銀田琢也

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