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2011年04月
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白骨となれる身なり

蓮如上人

 三月十一日未曾有の大惨事が我々を襲った。連絡の取れない友人がいて、山形の実家も自分も少なからず被害を受けた。死者行方不明者は戦後最大数、二十日現在で二万人を超えた。一瞬にしてそれだけの命が奪われ、その何万倍という人が恐怖と苦悩にかられた。テレビが伝える惨状はまさに地獄絵図そのものである。
今回場所や状況にかかわらず、震災を経験した人の心境というのは蓮如上人が生きた時代、餓えや死がごくごく身近にあった状況と少しも違わないように思う。余震や原発事故によって、震災の一瞬前までは考えもしなかった、自分自身の命に対する不安と先の見えない恐怖を多少なりとも実感したのではなかろうか。

「されば朝には紅顔ありて、タべには白骨となれる身なり。」
他人事ではなく、まさに自分自身の身の事として降りかかってきた。

 これまで私たちは技術や論理によって、こういった不安や恐怖を紛らわそうとしていた事に気づく。科学や医療の発達というものは、まさに安心、安全を求める心であり、裏を返せば死からの逃避である。そして、いつのまにか少しずつ慢心してきた。まさに煩悩具足の凡夫である。母なる地球を大切に・・・よく耳にするフレーズだが、何もかも奪い、今なお脅かされている今、果たして本当にそう言い切れるのか。地震、津波・・・自然災害は本来純粋な自然現象である。母なる地球の宮みが、ただ、私達人間の命を脅かす一点において災害となるのだ。
 震災から一週間が過ぎ、ネットを中心に様々な思いが噴出している。感じた事は、時間の経過とともに人の思いも変化するということだ。例えば過度の自粛は日本経済を脅かすという思いがある。反論も多数あるようだが、反論者も一か月後、一年後にはどうだかわからないという事。震災直後にはなかった思いであろう。人の思いというものは非常に不安定で、怪しいものである。
 全ての思いにはそれぞれ理屈があるが、全ての思いの根底にあるのは、失う恐怖(死)からの逃避である。仏教は老病死に対する恐れという人間の根底にある、このどうにもならない思いから出発する。二五〇〇年前にお釈迦様が抱いた思いと、今の私達の思いとは実はなんら変わりないのだ。大切なことは、“白骨となれる身なり”をどうしても受け入れられない、許せない自分を知り、その中で生きる、生かされるという事に少し真面目に考えることではないだろうか。
江戸川本坊 溝辺 貴彦

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