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11月5日(日)毎朝のお経と法話の会

歎異抄


歎異抄・第九条

一 「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん」と、もうしいれてそうらいしかば、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときのわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。また浄土へいそぎまいりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだうまれざる安養の浄土はこいしからずそうろうこと、まことに、よくよく煩悩の興盛にそうろうにこそ。なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあわれみたまうなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じそうらえ。踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまいりたくそうらわんには、煩悩のなきやらんと、あやしくそうらいなまし」と云々

本日の歎異抄・第九条 講義文
最後のところが、
踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまいりたくそうらわんには、煩悩のなきやらんと、あやしくそうらいなまし。(真宗聖典六三〇頁)
となっています。「踊躍歓喜のこころもあり、お念仏すれば、いつでも天に踊り地に踊るほどに嬉しくなりますということばかりの状態だったり、また、早くお浄土へ往きたいとばかり思っているならば、煩悩がないのだろうかと、かえって怪しく感じられるのではないでしょうか」、このように最後を結ばれているわけです。唯円は、念仏しても踊躍歓喜の心が疎かです、早くお浄土に参りたいという気持ちがありません、これは一体どうしたらいいのでしょうかと質問したのです。つまり、そういうことは悪いことだと思っていたのです。ところが、親鸞聖人は、喜ぶ心がないというからこそお助けがあるのだ。また、お浄土へ参りたいという心がないからこそ、阿弥陀仏が願いをかけてくださっているのだ。こちらからあれこれはからってすることではなくて、阿弥陀仏のほうから摂取不捨してくださっているのだ。そのことに気がつくようにと、そういうお話になっているわけです。

(往生は決定と存じそうらえ 257頁後1行目~258頁10行目)

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