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9月25日(月)毎朝のお経と法話の会

歎異抄


歎異抄・第六条

一 専修念仏のともがらの、わが弟子、ひとの弟子といふ相論の 候ふらんこと、もつてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたず 候ふ。そのゆゑは、わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はば こそ、弟子にても候はめ。弥陀の御もよほしにあづかつて念仏申し 候ふひとを、わが弟子と申すこと、きはめたる荒涼のことなり。つ くべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるることのある をも、師をそむきて、ひとにつれて念仏すれば、往生すべからざる ものなりなんどといふこと、不可説なり。如来よりたまはりたる信 心を、わがものがほに、とりかへさんと申すにや。かへすがへすも あるべからざることなり。自然のことわりにあひかなはば、仏恩を もしり、また師の恩をもしるべきなりと云々。

本日の歎異抄・第六条 講義文
今、人権の平等ということが実現されたのかというと、そうではないでしょう。今でも、女のくせにとか、貧乏人のくせに何をいうのかというような、ひどい言葉があります。人権平等の考え方のもとにあるものを、はっきりとさせなければならないと思うのです。それが阿弥陀仏の本願です。だから平等であり、一人一人尊い権限があるのだということなのです。
権利があるということは、また責任があるということです。阿弥陀仏のお心に従って生きていくという務めがあります。ヨーロッパで、自由・平等・博愛の宣言は、一七八九年のフランス革命ですが、それよりも先に、日本では鎌倉時代において、一人一人は阿弥陀仏の本願の故に平等だと説かれた親鸞聖人がおられるわけです。今日まで、親鸞聖人のお心を十分正確に伝えることができたかというと、決してそうとはいいきれない面があったと思います。しかしながら、現代において、親鸞聖人のこのようなお心を明らかに公開していかなければいけないと思うのです。

(如来よりたまわりたる信心 165頁後9行目~165頁後1行目)

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