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8月25日(金)毎朝のお経と法話の会

歎異抄


歎異抄・第六条

一 専修念仏のともがらの、わが弟子、ひとの弟子といふ相論の 候ふらんこと、もつてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたず 候ふ。そのゆゑは、わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はば こそ、弟子にても候はめ。弥陀の御もよほしにあづかつて念仏申し 候ふひとを、わが弟子と申すこと、きはめたる荒涼のことなり。つ くべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるることのある をも、師をそむきて、ひとにつれて念仏すれば、往生すべからざる ものなりなんどといふこと、不可説なり。如来よりたまはりたる信 心を、わがものがほに、とりかへさんと申すにや。かへすがへすも あるべからざることなり。自然のことわりにあひかなはば、仏恩を もしり、また師の恩をもしるべきなりと云々。

本日の歎異抄・第六条 講義文
親鸞聖人は、『末燈鈔』の自然法爾章など、八十歳を過ぎてから特に自然ということをくり返し、お話になったようです。『歎異抄』第一条には、「念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき」とありました。心を起こすときではなくて、心の起こるときなのです。私の計らいよりも先に念仏しようという心が起こってくる。心が起こってきたときには、もうお念仏している。そういうお念仏を、私たちはもういただいているのです。普段は、当たり前のことのように思っている呼吸ですけれども、それこそが大事なことなのです。そこに大きな自然のはたらきがある。そういうことを教えてくれるのが、お念仏の教えなのです。

(弥陀の御もよおしにあずかって 156頁後6行目~156頁後1行目)

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