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Home トップページ  >  今月の法語  >  人生は短い 怠けてよい日は ー日も あたえられていない 僧侶必携より

2007年10月
人生は短い 怠けてよい日は ー日も あたえられていない

僧侶必携より

 この文章を目にしたとき、自分は人生を短いと思っているだろうかと疑問に思った。 決してそう思ってはいない。 明日は必ず自分に与えられていると思い込んでいる。 そう思い日々怠けて生きていると感じた。 考えてみると私たちは、思い込みで物事や人を見てはいないでしょうか。 怠けて生きてはいないでしょうか。 ある作家さんは 「末期癌の人は桜が違って見える」 と言われました。
 末期癌の人が見る「桜」は 「今年が最後の桜。来年見ることが出来ない。」 という思いの「桜」であり、 私が見る「桜」は 「来年もまた見ることができる」 という思い込みの「桜」だと思う。 思い込みによってそこに存在しているモノである。 この「桜」は一つの例えに過ぎないのではないでしょうか。 「桜」をいろんなモノに置き換えてみると、私は自分の親や妻や子供や友人に、いつでも会えると思い込んでいる。 自分の勝手なモノの見方でそこにあることが当たり前としている。 もしかしたら誰がいつどこで「死」を迎えるかわからないし、私自身だって今日事故か何かで死んでしまうかもしれない。 そう思うと、もう一度自分の周りの人間や物事を見直すことができるはずなのですが、理解するという事が出来ても受け止める、受け入れるという事ができない。 だから理解はできるものの、また思い込みの生活を送ってしまう。 真宗では「他力」という言葉を使います。私たち凡夫は自力では覚りを開くことができない。だからこそ阿弥陀如来にお任せする、救ってもらうというのが他力です。 他力という言葉の対義語は何でしょうか。 自力と思うかもしれませんが、私は怠けるだと思います。 私は真宗の僧侶として日々生きています。それこそ他力という言葉をよく耳にしますし、使うこともあります。そんな私自身が他力という言葉をしっかり受け止められていないのでしょう。 他力だからと言って自力を自分の都合により見ないようにしているだけではないでしょうか。 だから日々怠けて生活をしてしまう。 怠けて生活をしているということは、前半でも記した通り人生は短いと思っていない。自分は長い 人生を生きると思い込んでいる、そんな怠け者の私」は自我に捕らわれた人間そのものではないでしょうか。 だからこそ、私は教えと出逢ったのではないかと考える。 そして僧侶として生きているのではないかと思う。 この先も僧侶として生きていく私は、教えと自分の考えに日々矛盾と疑問を持ち生きていくであろう。 当たり前という思い込みで見ている、物事や人を一度見直す事が出来れば、一日一日しっかりとした自分を持ち、怠けずに生活を送る事が協できるのだろう。
森林公園昭和浄苑 塚本 協

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