私にとって、善と悪の問題というものは、きわめて大きな問いになっています。 「善」の印象は幸福的なものに感じます。逆に「悪」のそれは、災難の種であるかのように感じます。私は善を好み、悪をきらうものであります。しかし、なにが幸福で、なにが不幸なことか。なにが善で、なにが悪なのか、私の分別では知ることができません。
善悪を知ることは、真実の智慧のはたらきをいただいて、はじめて知ることができるのではないでしょうか。自分が善悪を知っていると思う心は、虚仮であり偽りの心でしかありません。このことを親鸞聖人は「よしあしの文字をもしらぬひとはみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり」と表されました。
(『真宗聖典』(511頁))
親鸞聖人は、凡夫である人間の浅はかな知識で善悪を判断することの愚かさを『歎異抄』において、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」(『真宗聖典』(640頁))と明らかにされています。
私は、ここに親鸞聖人のほんとうの人間の見かたを教えていただきました。そして、私自身に本当の善悪を知らしめるお念仏がすでに与えられていることに気付かされます。私は、私が救われていく道しるべとして、親鸞聖人の学び方に学ぶ姿勢を大事にしてまいります。
船橋昭和浄苑支坊 黒澤浄光