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2015年02月
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何をやったかではなく 何のためにそれをやったかである 今それが大切に思えてきている
高倉 健

 新たな年を迎えて目標をたてます。例えば、「今年こそ家を建てよう」「今年こそ資格を取ろう」「今年こそ禁煙しよう」など、目標というものは達成した瞬間の喜びは大きいですが、時間と共に喜びは薄れていき、達成出来なければ空しさ、苦しささえ感ずるようになります。
 目標を持つことは大事なことです。目標に向かって頑張っている人には影響を受けますし、感銘も受けます。
しかし、そうした目標を達成することだけが人生の幸せとは思えなくもないのです。目標を持つことと同時に、何のために頑張るのか!目標に向かう根拠は何なのかと人生の目的を高倉健さんの言葉から考えさせられるのです。目標と目的は違います。
目標だけでは、何か不安定な道を歩む思いがするのです。何故なら、経済的に恵まれ、良い家に住み、社会的に権力を持つことが、人生の目標、人生の成功者、人生の幸せのように思われるからです。少なからずともこれらを求めます。
日々、新聞やマスメディアで結局は経済的なことや権力で泣かねばならない人たちが報道されています。経済力や権力など私たちが本能的に求め欲しがるものは必ず崩れ失います。私たちは人生の目的を間違えず見失わず歩まねば、人間として生まれることが出来た喜びは味わえないと思うのです。
 お釋迦さまは「人生は苦なり」と言われました。「人生は楽である」と言われた人は聞いたことがありません。確かに人生は苦の連続でしょう。経済的な問題で頭を抱え、病に倒れ、なんで私だけがこんな病気になるんだと、涙を流し、人間関係が崩れ、夜も眠れぬ思いをし、ニュースを見ても、暗い、恐ろしい、悲しいことばかりです。こんな苦しい人生を何故生きなければならないのかと追いつめられる時もあります。仏教では時代を下ると末法といいます。『仏説阿弥陀経』には、五濁(ごじょく)と説かれ、末法の具体的相といわれています。濁とはにごりであり、それは存在の曖昧さを指すと教えられています。
生きているにもかかわらず、生きていることの証が感じられず、物質の豊かさによって量られる。物質の豊かさは、経済的な成長、つまり数値に置き換えられ、絶えず上がりの数値によってのみ、評価されているのが現状です。その結果、年間3万人超の自殺者を生み、未遂者、鬱病患者はその何倍もいるといわれています。
 何のために生きるのか?人生の目的は?何処へ向かって歩んでいるのか?問わずにはおれないこの問題の解決が欲しいのです。この問いに応えてくれるのは、親先祖から伝えられてきた仏教しかありません。
明治期の浄土真宗僧侶として近代日本の思想に大きな影響を与えた清沢満之は「自己とは何ぞや。これ人生の根本的問題なり」と言いました。
あなたは何を持って、自己としていますか、という確かめです。高倉健さんの言葉「何のためにそれをやったか」を、これに通じる言葉として挙げさせていただきました。そして、このことを訪ね、確かめるべく、改めて仏教の教えに心身を投じたく思う次第であります。

森林公園支坊・渡邊 晃

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