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2014年12月
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この私を救ってやりたいという
阿弥陀仏の本願が、私に差し向けられている 
『正信偈の教え』 古田和弘

 親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、釋尊(しゃくそん)がこの世間にお出ましになられた目的を「正信偈(しょうしんげ)」に、「如来、世に興出したまうゆえは、ただ弥陀本願海(みだほんがんかい)を説かんとなり」とあらわされ、「ただただ、私たちに、阿弥陀仏の本願のことを教えようとされたためであった」と、頷(うなず)かれておられます。

釋尊は、私たちが生きるこの世は、五濁悪世(ごじょくあくせ)であると教えてくださいました。五濁とは劫濁(こうじょく)(時代の汚れ)、見濁(けんじょく)(邪な考え、見方)、煩悩濁(ぼんのうじょく)(欲・怒りなどに溢れる)、衆生濁(しゅじょうじょく)(人間の資質が低下する)、命濁(みょうじょく)(人心が濁り、寿命も短くなる)という、五つの濁りのことをいいます。
このような五濁の世のなかで、苦悩しているのが人間であり、また、この世に愛着し離れたくないと思うのも私たち人間の姿でありましょう。その人間の苦悩・迷いの果てしなさを、釋尊みずからが我が身のこととして憐み悲しみ、仏の願いを私たちに差し向けることこそが、釋尊が世に出られた本当のお気持ちであると、親鸞聖人は受けとめられたのだと思います。
親鸞聖人は、自覚された人間のありようを、「罪悪深重煩悩熾盛(ざいあくじんじゅうぼんのうしじょう)の衆生(しゅじょう)』(「歎異抄」真宗聖典六二六頁)というお言葉で表されました。果てしなき煩悩に苦悩しながら迷い続けて生きる私たちが救われるためには、釋尊が説かれる仏さまの願いに生きるしかないことを、親鸞聖人に教えられます。
私は、そこに仏さまの深い大悲を感じます。釋尊が、この世にお生まれになられた本当の理由、「出世本懐(しゅっせほんがい)」は、他でもない、この私を救ってやりたいという、仏さまの大悲を私に差し向けてくださるためであったということが知らされます。
私の苦悩が深ければ深いほど、仏さまの願いは、私の悲しみに寄り添って、
深く広く果てしない海のごとくに私を包み込もうとしてくださる大悲のはたらきに、南無阿弥陀仏の願いを聞かせていただきます。

江戸川本坊 銀田 琢也

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2014年11月
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みんな、自分の意志で生まれてくる。
『幸せのかたち』より 
溝邊 貴彦

 先日ひょんなことからたどり着いたフェイスブックのコミュニティ、『幸せのかたち』に助産師さんの記事が載っていた。記事を読んだとき、私はまさに目からうろこが落ちたのだが、後日、育児真っ最中の頑張る友人達にこの話をしたら、当然のように知っていたことにまた驚かされた。
 いったい何の話かというと、赤ちゃんがひとつの尊いいのちとして誕生する出産の話。私はこれまで出産とは、母親が地獄の苦しみに耐え、母親自身の力で赤ちゃんを、新しい命を誕生させる、子に対し無限の愛を持つ母親だからこそできる仕事であると、そう思っていた。ところが、どうもそれだけではないらしい。
助産師さんがいうには実は赤ちゃんの方が母親よりも何倍も苦しいのだそうだ。陣痛は子宮の筋肉収縮らしく、赤ちゃんは収縮しているときへそのおからの酸素が途絶え、息が出来なくなるらしい。子宮の収縮は1分間。思い切り首を絞められ1分間。それが何度も繰り返されるわけで、これに耐えられなければ赤ちゃんは死んでしまうそうだ。まさに命がけである。赤ちゃんはとても賢く、陣痛に耐えられるかどうか判断し、一番いいタイミングで自分の生まれる日を選ぶそうだ。そのタイミングが来たら、赤ちゃんは自分で陣痛の起こるホルモンを出す。ということは、自分の誕生日は自分で選んだ日ということになる。助産師さん曰く、
「私たちはみんな、自分で判断して、自分の意志で生まれてくる。生まれたくて生まれたんじゃない!なんて人はいない。」
 私たちは残念ながら生まれた時の記憶がない。ましてや自分の意志で、自分で決めて這い出てきたなど私は全く想像がつかない。思春期に「生まれたくて生まれたんじゃない!」と言ったか言わないか、逆にそんな記憶は多少なりとも皆さんもお持ちではないだろうか。この問題は、実はいい大人になった今現在でも、私にとって大きなテーマとなっていることに気づく。
 私たちは様々な優劣をつけられる中、驕ったり劣等感に陥ったりするうちに本当の自分の尊さとか、生まれたい!生きたい!という、いのちの源にある生きる意志を忘れてしまっているのではないかと思う。この根源の願いといってもよい生きる意志は、能力とか学歴とか地位、名誉、財産では量れないということ。そしてこの願いはどこから受け継がれたものかという、いのちの歴史がすっかり抜けてしまって、いつの間にかいのちを刹那的にわが物としてしまっている自分にハッとさせられたのです。
お釈迦様は生まれた直後に立ち上り、右手で天を指し、左手で地を指して
「天上天下唯我独尊」
と云われた。これは自分は誰にも変わることのできない人間として生まれており、このいのちのまま尊いという何にも代えられない、己の生きる意志を示している。普段忘れてしまっている、そのままで尊い「自分」であったということを教えられた思いがした。

船橋支坊 溝邊 貴彦

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2014年10月
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人が死ぬと思うていたのに、儂が死ぬ。
これはたまらん。

一休

  一休禅師、室町時代、臨済宗大徳寺派の禅僧(1394~1481.88歳病死)

 私たちは、自分の本当に求めているものが何であるかを、明らかにしないままに今日まで流されてきたのではないでしょうか。私たち人間の煩悩、欲望は永遠に尽きることがありません。そして、命はロウソクの灯のように燃えてやがては消えてゆきます。そのような生き方を「流転輪廻」と教えられております。
 そのような無常の道理のなかで「これが自分の本当の生き方だ」といえるような道しるべが明らかになれば、自分自身の人生が、具体的な方向性をもって歩み始めるのではないでしょうか。行き先が決まらないままに必至に長生きしたとしても、それは虚しく時を過ごしているだけかもしれません。

 ある人が、「幸せが欲しい」と神さまにお願い事をしたそうです。神さまは「おまえのいちばん欲しいものをひとつだけやろう」と約束してくれました。その人は即座に「たくさんのお金が欲しい」と言いかけてやめました。いくらお金がたくさんあっても、すぐに死んでしまっては大変だからです。「いちばん欲しいものは、命しかない」と思い直し、「命が欲しい」とたのみました。すると神様から、「命をどれぐらい欲しいのだ?」とたずねられ、またその人は考えこみました。「長ければ長いほどいいように思うが、病気にでもなって、それでも長生きをしなければならないことになれば大変だ」と考えたあげく、ようやく決心がついて言いました。
「神さま、すべておまかせします」と。結局、その人は何ひとつお願いすることが出来ませんでした。私たち人間は、これで満足ですということがありません。これは煩悩が充ち満ちて永遠に煩悩から離れられないからです。
 煩悩に振り回されて生きる私たちだからこそ確かな人生の道しるべが必要なのではないでしょうか。それは、煩悩から離れることのできない私自身を仏教によってはっきりと知らされるところから始まるのだと思います。
「諸行は無常である」と仏教はいいます。それは、私こそが無常の存在であるということです。「人が死ぬと思うていたのに、儂が死ぬ。これはたまらん。」この言葉は、いつも私だけは別と考え、すべてを他人事としてしか受け止めることのできない私の相(すがた)が言い当てられています。
 私たちは辛くても、苦しくてもその一日一日を懸命に生きてゆかなければなりません。そしてこの法語を通して「南無阿弥陀仏」の智慧をいただき、本願に問いつづけていくことが願われているのです。

船橋昭和浄苑支坊 黒澤浄光

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2014年09月
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前(さき)に生まれん者(ひと)は後(のち)を導き、
後(のち)に生まれん者(ひと)は前(さき)を訪(とぶら)え

どうしゃくぜんじ
道綽禅師

 この言葉は、浄土真宗では七高僧の中の第4祖である中国の道綽禅師の『安楽集』に記された言葉です。この言葉を浄土真宗の宗祖親鸞聖人は『教行信証』の「化身土巻」の最後のところに引用なさっています。この言葉は親鸞聖人がお書きになられた『教行信証』の最後のしめくくりの言葉と受け取ることができます。
 前に生まれた者を導いて、後に生まれた者が前に生まれた者を訪ねていく。
その営みは永遠に続いて行く営みです。なぜこの営みが永遠に続くかというと、
『前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え』のあとに『連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり、と。』と書かれています。

『無辺の生死海を尽くす』とはどのようなことなのでしょうか。自分の思い通りにならないと悩み、苦しむ。思い通りになると満足する。そんな日々の生活で、心から本当に安心することが出来ない。しかし、誰もが安心して生きたい、生きる意味を持ちたいと願っている。そこに念仏を学ぶ目的があると親鸞聖人が言っているように思います。『南無阿弥陀仏』のことばの中にそれが問われているのです。

 以前に「親鸞聖人から教えられる念仏は、本当は念念仏と言わなければならないのではないか」とお聞きしたことがあります。ただ仏を念じるのではなく、私が念じるより先に私を念じてくださっている仏を念じることが本当の念仏だと言われるです。私自身の生き方を問うもの、これが親鸞聖人のお念仏です。
 親鸞聖人は、念仏を「真実の行」とも言われましたが、生活とか生き方という意味です。念仏は生活、生き方が課題にされているからこそ、「真実の行」と言われるのだと、また「念仏者とは、行者」とも言われています。
答えとして『南無阿弥陀仏』を信じ込むのではなく、自分の生き方を問い続ける者、私たちに向かって発せられる大事な仏さまからのメッセージを聞き続ける者ということだと思います。
親鸞聖人が『教行信証』の末文のしめくくりとしてこの言葉を引用されているのは、自らの求道の経験から、後の世に生きる私たちの生き方への呼びかけではないでしょうか。
呼びかけは導くこと、また伝えることで、伝えることは財産や手段ではなく、自信をもてる生き方ということではないでしょうか。

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2014年08月
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「平生に臨終すんで 葬式すんで
 なむあみだぶつの中におる」
浅原才市

今月の言葉は、妙好人(みょうこうにん)、浅原(あさはら)才市(さいいち)さんの言葉を紹介します。
妙好人のことを禅の大家鈴木(すずき)大拙(だいせつ)氏は、「文字も分からないような一般庶民の中で、お寺に参って念仏の教えを良く聴聞されて、その教えの要を体得された念仏者のことを言う」と申され、全国の妙好人を探してその言葉を公表しました。
 才市さんは今から百六十四年前の嘉永三年(一ハ五〇年)に島根県に生まれ、下駄職人として生活されましたが、ある時福岡県の万行寺住職、七里(しちり)恒順(こうじゅん)氏と出遇い、師より教えを直接ニ十一年間聞かれて、聞法の気付きを自分の言葉として他の人へ残されました。
 私は学生の時にこの言葉を聞いて、さっぱり分かりませんでした。しかし耳の底に留まっていたので、その後の聞法からこのように気付かされました。
 昔の才市さんは自分が老・病・死を迎えることを知りながら、思うように成らない苦悩から解放されませんでした。又、七里先生と出遇う前は、人生で得た知識を頼りとしていたのでしょう。才市さんの知識で老・病・死の苦悩の解決は出来ません。
何故かと言うと釈尊は、老・病・死は縁に因って起こる、「縁起」を説かれたからです。縁に因って起こるから才市さんが得た知識は通用しません。このことを知らないまま、しかも教えを聞くとことがなければ、永遠に真理を知ることは出来ません。
真理に暗いことを「無明(むみょう)」と言い、教えを聞く前の才市さんは「無明の闇の中にいた」のです。
 しかし七里先生の教えを繰り返し聞法することにより、才市さんは真理を求めずにはおれない求道心が芽生えて、阿弥陀仏の智慧のはたらきによって、無明の闇が崩壊されたのです。崩壊された闇はもはや阿弥陀仏の智慧のはたらきに抵抗出来ずに「葬られる」ことになります。これを才市さんは「葬儀の葬」と抑えたと思います。
 そして「葬儀の儀」とは、このことに気が付かず、煩悩の欲するままに生きていたことで、老・病・死の苦悩を解決出来無い愚かな自分を、「儀」と自覚し、これを自覚する迄の仏事と仏縁を才市さん独自の解釈として、「葬儀すんで」と言われたと思います。
又、「臨終(りんじゅう)すんで」の臨終の「臨(りん)」を辞書では「良く見える」。「終(じゅう)」とは「ついに」と言う意味ですから、才市さんの言う「臨終」とは医師が告げる死亡の意味では無く、「ついに才市は聞法によって、縁起のままにしか生きることが出来ないことが、良く見えるように成った」ことが才市さんの臨終であり、このことが死後では無く平生であるから、「平生に臨終すんで、葬式すんで」と言われたと思います。
 そして最後の「なむあみだぶつの中におる」とは、才市さんが縁起するいのちに身を任せて、今いのちが才市さんを生きていることに感謝出来るように成ったので、今まで無明の闇の中にいた才市さんが、今度は阿弥陀仏のはたらきの中いる。それを「なむあみだぶつのなかにおる」と言われたのではないかと思います。私はこの言葉こそ仏教終活の内容だと気付かされました。

船橋昭和浄苑支坊 加藤 順節

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2014年07月
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「ありのままの自分になるの」
映画『アナと雪の女王』主題歌より

「ありのままの自分」とは、どのような自分だろうか。どうすればそうなれるのか。これを明快に答えられる人は少ないのではないか。

 映画「アナと雪の女王」では、次のような場面でこの主題歌は使われている。「ありのままの自分になる」ことを願いながらも、周囲から生まれついた性質を否定された主人公は周囲に心を閉ざし、氷と雪でこしらえた自分だけの城に閉じこもり、周囲にモンスターを配して誰も近づけようとしない。城から出ようと呼びかける実の妹にまで氷の矢を放って攻撃をしてしまう。しかしそれは決して「ありのままの自分」ではなく、「ありのままの自分はきっと受けとめてもらえない」という疑いの城に閉じこもり自我を守ろうとしている危うい状態でしかない。  
 仏教では「ありのままの自分」に目覚めた人をブッダと呼ぶ。これを親鸞は『愚禿抄』に「深信自身」と記している。これはありのままの自分自身を深く信じる、という程の意味だ。親鸞は自分になるのではなく、自分を信ずると述べている。それはどういうことだろうか。
 7世紀に唐の長安で活躍をした善導大師は、二河の喩(たとえ)として、以下の話を伝えている。「西に向かって旅をする人が、突如として二つの河に行く手を挟まれた。北から流れる河は濁流が流れ、南から流れる河には、水の代わりに火炎が流れており、お互いの流れがぶつかり合う中に微かに白い路が見える。河の幅はわずか百歩ほどではあるが、とてもこの路は渡れないと引き返そうとしても賊が大軍勢を率いて私を殺そうと迫ってくる。川沿いに逃げようとすれば、川沿いに悪獣が私を喰い殺そうと迫ってくる。旅人はとうとう死を決意して、死ぬならば前に向かって白い路を渡ろうと思い立つと、東の岸と西の岸から旅人を励ます声が聞こえてくる」という喩である。

そして西の岸から聞こえてきた声が、「汝一心正念直来」(汝一心正念にして直ちに来たれ)というものだ。これは「何も準備はいらない。ありのままのあなたで良いからすぐにこちらにおいで」という呼びかけである。これを善導大師は阿弥陀仏から私たちへの呼びかけであると受けとめた。一切の条件や準備は不要であり、阿弥陀仏の呼びかけに、「はい!」という返事をすればいいだけである。それが「南無阿弥陀仏」という言葉の深い意味でもある。しかしこの呼びかけに対して我々は素直に従い、すぐに返事ができないのである。
「ありのままの自分」で良いと言われても、私たちは「ありのままの自分」では足りないと思い、あるときは「こんな自分ではだめだ」と落ち込んだり、「ありのままの自分の邪魔をするな」と心を閉ざしてしまい、「ありのままの自分」に安住する方法を知らないのではないだろうか。それは他者との比較から抜けられないからである。
 仏教で教えている「ありのままの自分」に出会う方法は、「ありのままの自分」で良いと教えてくれる仏さまの言葉を信じることだ。親鸞は『歎異抄』「仏はずっと前から、煩悩に縛られて生きるあなたよ、と私を呼びかけてくれているので、仏の悲願は私のためであったと気付かされ、この私こそが仏の目当てであったかといよいよ頼もしく思います」(歎異抄第9条取意)と述べている。私はここに「ありのままの自分」に安住する心の居場所があるのだと思う。そのように仏から教えられて気付くということが、信じる内容になっているのである。

 言葉を換えれば、思い込むのではなく、「ありのままの自分」になるとは、ありのままの自分で良いのだと信じること、すなわち気付くことではないだろうか。

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2014年06月
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「人間は生きたことばを聞くと深い感銘をうける」
曽我量深

 私は本を読むことが好きです。最近ではネット環境も整っており、手軽に様々な文章に触れることが出来ます。

 また、人と会ってお話を聞く機会もあります。歳を重ねていくと大概のことは今までの経験上、予想することが出来るようになり、あまり驚くこともなくなるように思います。それでも文字を読んだり話を聞いたりすると、なるほどそんなものかと感心することがよくあります。まだまだ世の中には私の知らないことが沢山あるんだなと単純に喜びます。

 しかしそれは知的欲求を満たすものであったり、情報収集のためであったりするので、ほとんど私の中に残ることはありません。つまり感動が持続することがないのです。せっかく大切なことばに触れても、生かすことが出来ません。それはことばの死をあらわします。そしてそのことばを殺したのは紛れもなく私自身であると言わねばならないでしょう。
 念仏に生きられた曽我量深先生は、「書物を読む人は頭をさげないで読む。教えを聞く人は頭をさげて聞く」と言われました。私はこのことばに深い感銘をうけています。ことばには生命があり意義があります。そのことばが文字となって私たちに与えられました。その文字においてことばをみいだしていく。その文字においてじきじきのことばを聞く。ことばとなって発せられた生命、意義を教えとして頭をさげて聞くという私自身の態度が大事であることを曽我先生は教えてくださいました。
 確かにお釈迦さまは二千五百年も前にこの世を去り、親鸞聖人は七百五十年前に往生の素懐をとげられています。
 しかし、お師匠さまの生きたことばを耳の底に確かにうけとめられたお弟子さんたちは感動をもって文字に残してくださいました。その文字を教えとして頭をさげて聞くとき、今も生きてはたらくお釈迦さまに出遇い、現在も教えを説かれる親鸞聖人に遇うのです。
 私たち日本人は先の震災であまりにも多くの家族を失いました。私は、そのかけがえのない一人一人の命に頭をさげ尊い教えとしていただくところに、人間の命が生きたことばとなって私の心に深い感銘をもって響き続けていることを感じます。それが仏教の願いの力であると私は信じています。

證大寺本坊  大空

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2014年05月
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「右のポッケにゃ 夢がある

左のポッケにゃ チューイン・ガム」

『東京キッド』より

 言わずと知れた、美空ひばりさんの初期の代表曲『東京キッド』の歌詞の一節です。昭和二十五年九月に同名映画の主題歌として製作発表されました。明るく楽しいリズムの楽曲と映画が共に大ヒットし、戦後混乱期の日本人に夢と希望を与えたといわれています。
 この歌が何故、人々に夢と希望を与えたのでしょうか。ひばりさん自身の魅力がすぐれているのは勿論ですが、果たしてそれだけなのでしょうか。
 「左のポッケにゃ チューイン・ガム」とあります。2番では「チョコレート」という歌詞が出てきます。戦後、食料の少なかった当時は食べるということはまさに死活問題であった筈です。今までの災害でも、物資支援が重要であるということは周知のことです。いくらお金があっても買える食べ物がなければ、身体を維持することは出来ません。しかも衛生が保たれなければ健康もおびやかされます。「チューイン・ガム」や「チョコレート」は、そういった身の事実を表しているのではないでしょうか。
 では、身体を維持しさえすればそれで良いのかというと、そうではありません。ひばりさんは「右のポッケにゃ 夢がある」と唄われています。この夢とは、ひばりさんが身をもって教えてくれています。当時十三歳の少女が明るく楽しく唄う姿に、人々は夢を感じたのではないでしょうか。子供とは未来の象徴のような存在です。明るい未来が開かれた、希望そのものであるように感じます。そんな、ひばりさんの姿に人々は励まされて、明るく生きようと思ったのではないでしょうか。
 「右のポッケ」と「左のポッケ」は、それぞれ別の名前で別の存在ですが、実はひとつのズボンに同時にあり、しかも、どちらもズボンがなければ存在もありません。
 人もそうではないでしょうか。私たちは、名前も存在もそれぞれです。そのバラバラの存在である私たちひとりひとりに、誰にも代わることが出来ない命が生きています。そして、その命はある日突然、何処かから生まれたのではありません。遥か昔から続いて来た命の中に生まれます。親が命を終えても、私の命が親と同じ命を生きていくのです。
 ひばりさんがポッケに手をつっこみ明るく唄うその姿に、人々は困難の中を生きていく命の力を感じられたのではないでしょうか。
 私がこの歌に出遇ったのは数年前にすぎませんが、今の私に何か大切なことを問いかけているように思います。
                                                 證大寺本坊  髙木 通達

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2014年04月
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明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは
親鸞聖人

 この言葉は親鸞聖人が九歳で得度を受ける際に詠ったと伝えられています。

 聖人が僧侶として生きることを願って比叡山の青蓮院を訪れた際、夜遅かった為に慈円僧正から「夜も遅く疲れているだろうから得度式は明日にしてはどうか」と促されました。しかし、親鸞聖人は命について「明日がある」と思い込むことを、いつなんどき散ってしまうかもわからない桜に譬え、夜に嵐が吹けばどんなに満開の桜でも散ってしまうと歌にしました。だから「明日」ではなく、命ある「今」仏教のお話を聞きたいと、その夜に得度を受けさせて頂いたのです。

 親鸞聖人が幼少の時、京都では戦乱や天災における飢饉、火災、地震が相次ぎ、人の死を目のあたりにしていました。そのような中で、聖人は美しい桜の姿を見て、命の無常を観じられたのではないでしょうか。

 私達は何故、桜が満開に咲いているのを見ると感慨深くなるのでしょうか。それは私達の命の在り様を桜から教えられるからだと思います。花は咲いても、いずれ散ります。私達も命一杯生きているけれど、いつなんどき死が訪れるかわかりません。私は、桜の花が私達人間の命の姿を見せてくれているように思います。「桜が咲いている」という感動がおこる時、自らの命の尊さ、その美しさに気付かされます。

 親鸞聖人は桜を愛でると同時に桜から自らの姿を見つめられ、願われていることに感動したのではないかと思います。

 私は、聖人の「明日ありと思う心のあだ桜」というお言葉にふれる時、我々が仏さまから願われ、我々の命の姿に手を合わして呼んでくださっているように感じられます。その仏さまの呼びかけに呼応する時「南無阿弥陀仏」という念仏が私の中から起こるのです。

 證大寺本坊 銀田琢也

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2014年03月
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愚者になりて往生す
法然

 はじめてこの言葉とであったのは京都の専修学院での院長講義であったと思う。最初に聞いたときには?マーク。講義で解説されてもいまいち身に落ちなかったことを記憶している。愚者=愚か者(できない人)、往生=死ぬことという概念が出来上がっていたからである。
 この言葉は、親鸞聖人のお師匠さんである法然上人の言葉である。法然上人は自他ともに認める秀才であった。ただ、謙遜して言った言葉であるか?そうではないだろう。なぜなら生涯法然上人の一弟子を貫いた親鸞聖人が、88歳の時に回顧録にこの言葉をしるしておられるからだ。一弟子が晩年に至ってなおこの言葉が自分の心にとどまっているということは、この言葉は法然上人の教えそのものであると考えられる。そして、親鸞聖人自身は愚禿釋親鸞の名乗りをあげている。
 では愚かとはどういうことか。私たちは、自分の事は自分が一番よく知っていると思っているが、自分自身の事実を知らされて初めて気付くことがある。私たちはあらゆる感情をぶつけ合い、右往左往しながら生活している。怒っているときは、自分が一番正しく周りが思い通りにならないことに憤り、笑っているときは絶好調で有頂天、泣いているときは自分が一番不幸だと思う。生きる私たちを掘り下げてみれば、「私が…」「あなたが…」「私だけが…」といった我執(思い)をお互い突き合わせて生きている事に気付く。我執をけして捨て去れない自分を、法然上人は愚かといったのである。
 では、そのような私たちがどのように救われるのか。今生きている中で救われていくには我執に囚われている自分に気づき、心の中の願いに心を開いていく他に道はないのではなかろうか。そこにこそ、我執を持ったままの私たちが安心して生きていける(救われる)道が開かれるのではないかと思う。
 仏教は、生きる事の根源たる苦悩に真正面から向き合う。たとえ普段執着する心から離れられない私たちでも、苦悩する正体を知ること、向き合う事は大事なことである。仏法を聴聞するということは、仏さまから自分自身を教えてもらうということに他ならない。まず自分の本当の姿を教えてもらうということが大事である。そして、安心して愚者であるといえるところに、本当の救いの要があるのだ。

船橋昭和浄苑 溝邊 貴彦

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