左のポッケにゃ チューイン・ガム」
『東京キッド』より
言わずと知れた、美空ひばりさんの初期の代表曲『東京キッド』の歌詞の一節です。昭和二十五年九月に同名映画の主題歌として製作発表されました。明るく楽しいリズムの楽曲と映画が共に大ヒットし、戦後混乱期の日本人に夢と希望を与えたといわれています。
この歌が何故、人々に夢と希望を与えたのでしょうか。ひばりさん自身の魅力がすぐれているのは勿論ですが、果たしてそれだけなのでしょうか。
「左のポッケにゃ チューイン・ガム」とあります。2番では「チョコレート」という歌詞が出てきます。戦後、食料の少なかった当時は食べるということはまさに死活問題であった筈です。今までの災害でも、物資支援が重要であるということは周知のことです。いくらお金があっても買える食べ物がなければ、身体を維持することは出来ません。しかも衛生が保たれなければ健康もおびやかされます。「チューイン・ガム」や「チョコレート」は、そういった身の事実を表しているのではないでしょうか。
では、身体を維持しさえすればそれで良いのかというと、そうではありません。ひばりさんは「右のポッケにゃ 夢がある」と唄われています。この夢とは、ひばりさんが身をもって教えてくれています。当時十三歳の少女が明るく楽しく唄う姿に、人々は夢を感じたのではないでしょうか。子供とは未来の象徴のような存在です。明るい未来が開かれた、希望そのものであるように感じます。そんな、ひばりさんの姿に人々は励まされて、明るく生きようと思ったのではないでしょうか。
「右のポッケ」と「左のポッケ」は、それぞれ別の名前で別の存在ですが、実はひとつのズボンに同時にあり、しかも、どちらもズボンがなければ存在もありません。
人もそうではないでしょうか。私たちは、名前も存在もそれぞれです。そのバラバラの存在である私たちひとりひとりに、誰にも代わることが出来ない命が生きています。そして、その命はある日突然、何処かから生まれたのではありません。遥か昔から続いて来た命の中に生まれます。親が命を終えても、私の命が親と同じ命を生きていくのです。
ひばりさんがポッケに手をつっこみ明るく唄うその姿に、人々は困難の中を生きていく命の力を感じられたのではないでしょうか。
私がこの歌に出遇ったのは数年前にすぎませんが、今の私に何か大切なことを問いかけているように思います。
證大寺本坊 髙木 通達