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2013年08月
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いささか心の濁りも薄らぐと見えしかど
鴨長明

 今回は釈尊の「出家」の心情を、歌人・鴨長明の言葉に重ねてお話ししたい。釈尊は何故、出家したのか。経典には「老病死を見て世の非常(諸行無常)を悟る」とある。釈尊は老病死を通して世は無常であることに悲しみ、その悲しみから何を学ぶべきなのかを求めて出家したのだと思う。
 鴨長明(かものちょうめい)もこの世の無常を幼き時から経験していた。鎌倉時代、長明の生きた当時の都・京都は、激動の戦乱の最中にあり、戦いにまつわる火災や地震などの天災が多発していた。いつ、なんどき、どうなるかわからない。人間関係でさえも常に不安定で危うい。そのような世の無常の中で、それでも人間存在の重さを文字にあらわそうとしたのが鴨長明であると思う。そして彼もまた世間を生きることをやめて50歳で出家した。それでも山の庵(いおり)に籠(こも)り世間の有様を書き続けた。その随筆が『方丈記』である。
 その『方丈記』には1185年、31歳の時に起きた大地震について触れている文章がある。私はそこに目が止まった。特に「土さけて水わきいで」(『方丈記』(岩波文庫)22頁) の文に驚かされたのである。当時京都で、大地が割れて、その地面の底から水が噴き出るという地震があった。これは二年前の東日本大震災を思い起こす。
東日本大震災も海を埋め立ててつくられた地面が割れ、そこから泥水が噴き出した。長明は当時の様子を「そのさま、世の常ならず」(同上22頁) と表現している。この大地震はこの世のものとは思えないと衝撃を受けたのであろう。そのような諸行無常の中にあって長明は次の言葉をのこしている。
「人はみなあじきなき事(はかなさ、むなしさ)を述べて、いささか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日重なり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出づる人だになし」(同上24頁)。大地震の時は、人はみな無常で、はかないものであると語り、少しは心の濁り・煩悩が和らぐように見えたが、月日、年が経過すれば、そんなことはすっかり忘れ、言葉すら出ない。大地震の記憶が遠くなり普通の生活に戻れば、相変わらず心の濁り・煩悩のままに生きていると、長明は悲しい人間のあり様を嘆いているのである。  
 世は無常であることを忘れ、心の濁りも消えないのが人間である。しかしその無常の現実を生き抜いていこうとするのも人間だ。
人間のおろかさと、人間の存在の重さを出家者・鴨長明から教えられる。

森林公園昭和浄苑 銀田 琢也

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