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2011年11月
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菩薩は 希い(ねがい)にみちている

ダライ・ラマ14世

 この言葉は、『ダライ・ラマ法王 Teaching 2006 in 広島 両界曼荼羅伝授法会 前行法話会「道の三要訣」』において、聴講者の「お金持ちになれますようにと祈るのは、仏道に反するのか」という質問に対する法王の解答です。
 私達は仏の前でお参りをする、祈る、手を合わせ念仏申す時どのような心持ちでしょうか。純粋に感謝するというよりも、「何々でいられますように…」や「苦しみから解放されますように…」または、何か手を合わせお参りをしていないと不幸になるような、言い知れぬ畏怖や重圧を感じるといった事が少なくないのではないでしょうか。人は何かを欲する時や逃れたい時など、自分の力ではどうする事もなくなったら、藁をも掴む思いですがろうとします。これを自力といいます。第一に自分の思いがあって、対面に仏を見て宜しくお願いしますと。
 これに対して他力本願とは、第一に仏の願いがあります。例え私達がどんな状況にあろうとも、またどんな思いでいる時でもいつでも広大無辺に照らしてくださっているです。この仏の心にあずかっていくのがお念仏の教えです。お念仏とは、自分の願いの為ではなく、そこに何の畏怖も重圧もなく、徳を積む行でもなければ善行でもありません。説明も考えることもないのであると歎異抄にあります。以前ある先生にお念仏は赤子の反応と同じだと教わった事があります。しゃべり始めの赤ちゃんが「ママ」と呼ぶのは言葉の意味を知って言うわけではないでしょう。母親がお腹にいる時から「ママですよ」と呼びかけ、慈しむことに対する反応なのです。お念仏も仏の願い(呼びかけ)に対する我々の反応なのだという事。
 曽我量深先生は、『信に死し、願に生きよ』とおっしゃいました。自分の思いに執着するのを止め、仏の願に遇っていこうと…これが中々難しい。何故なら自分の思いとは、これまで築き上げてきた自分自身の事だからです。自分自身は正しいと信じてやまないがために、怒りや不満がでてくるのです。例えば近しい人に自分の嫌な面をズバリ指摘されたり、きつく諌められたりすると感謝よりも怒りがでてきます。さらに、これを当然とするということは、自分自身の思いに執着している事すら気付いていないということではないでしょうか。仏に願い事をしたり、取り引きしたりするのは、仏すら自分自身のものとしている証拠のように思うのです。
「菩薩は希いにみちている」これは、我々の願いを菩薩が聞き入れるということではなく、いつ何時でも菩薩はそんな私たちを受け容れるという事です。「希う」を辞書で調べてみると、「こいねが(う)」とあります。こいねがう、私には未だ仏の心にあずかれない自分に対する応援のように聞こえてならないのです。
江戸川本坊 溝辺 貴彦

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