この言葉は、人気漫画天才バカボンの主人公バカボンのパパの決め台詞です。毎回、毎回、問題ばかりの中で、困ったり、笑ったり、時には駆けずりまわったりしながらも、最後の最後に「これでいいのだ」と言い、問題を解決していく痛快な内容です。 それと同時に赤塚不二夫氏の言葉でもあるのです。
この言葉を私たちの生活の中で考えてみましょう。「これでいいのだ」とちゃんと納得しているでしょうか?「これでいい」と言いながらも、良くない、もっとこうしたい、だけど今はこれだけしか出来ないから、これでいいというような状態でありましょう。
この状態だと「これでいいのだ」とは言い切れません。自分自身で決めていながら納得がいっていない、「こまった」という状態なのです。この状態は、自分自身で物事を決めてしまい、どうしても、人との比較や、人からどう思われるかに囚われてしまう自我というものが問題です。自我が「こまった」と言っているから、「これでいいのだ」と思い切れないでいるのです。
これは言わば、私たちの本質で有るのではないでしょうか?どうしても決めきれない、決めたとしても納得がいかない、何故そうなるのかと言うと、人とは自分の利益になること以外にはあまりに興味をもたないからです。だからこそ、人の話でも興味のある話ならば「もっと詳しく聞きたい」と思い、逆に興味がないと「それで…」と言うように聞き流したり、耳をかさなかったりするのです。
これが、私たちなのです。自我をもっているからどうしても、自分の得になることは知りたい、自分の損になることはしたくないと思うわけで、その本音と建前の狭間で生きているのです。植木等さんの言った「分っちゃいるけどやめられない」という言葉が私たちを物語っています。
だからこそ、そういったものに目を向けて、本音があっても建前だけでいつもいつも「こまった」という生活をするのではなく、言いたい事を言い合える関係というものを築くことが大事だと思います。「これでいいのだ」と言える生活というものを実践することが出来るのならば、悶々とした生活から解放されてより生きやすくなると思うのです。
私たちの人生とは一度きり、困った困ったで生きていくのではなく、「これでいいのだ」と自分自身の中で決着をつけながら生きていけたらもっと開けてくるのではなかろうかと思うのです。それは、如来の慈悲にふれて初めて分かって来るものかもしれません。そう感じるのです。
森林公園支坊 藤場 善寛