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2008年03月
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縁(えにし)ありて 尊い命が 生まれてくる

釋浄光

 今の若い人達の話しを聞いていますと、子供を造る、あるいは子供を産むという言い方をする人がいます。そもそも、子供というものは私達が自分の思い通りに産むことができるのでしょうか。私は子供は産むものではなく「生まれる、生まれてくる」ものではないかと思うのです。
 産むものでしたら、忙しい時を避けて自分の都合の良い時に産めばよいし、造るものでしたらもっと親の言うことを聞くようにつくったら良いと思うのです。親の言うことを何でも聞き、素直で反抗期がなく頭が良くて本当に親孝行の子供を産み、造ればいいと思います。しかし子供は、造るものでもなく産むものでもないものです。どれ程子供が欲しいと思っても、子供が生まれてくる縁がなければ子供を授かることは出来ません。そのように考えると、子供は縁を頂いて「生まれてくる」のです。
 その生まれてきた子供を、親の思い通りに育って欲しいと自分の都合でもって色々と口にします。
 子供は子供で、自分の都合条件をつけて親を見てくるのです。お互い自分の都合の良い時はいい親であり、いい子供でありましょう。ところが、親の都合と子供の都合というものは、必ずしも一致しないものなのです。時には一致する時もあるでしょう。しかし、考え方、価値観、目的等々それぞれ皆違った者同志がそれぞれの所で一つの生活をして行かなければならないのです。この様な状況の中でお互いが命を授かって生活をしているわけでございます。自分にとって良い日もあるでしょう、辛く悲しい日もたくさんあります。一日たりとも今日と同じ日はありません。色々な日があるのですね。血をわけた親子が一つになりたいというわかり切ったことではありますけれど、なかなか自分の思い通り、計算通りにならないまま生きて行かなければならないのです。
 そのような思い通りにならない命を今生きているわけであります。この事実をお互い否定するわけにはいきません。愛する人と別れていく命、老いていく命、病する命、死していく命を今ここに生きているのです。否定しようがございません。その命がここに有るという事は一体どういうことなのか。少し難しい事のように思われますけれど、事実に立って考えてみましょう、
 この命は先程の「生まれる、生まれてくる」もので、産むものではない。造るものではないものです。
 生まれてきた私の命というものは一体何であったのでしょうか。この命の問題に答えるものは、仏法しかないと私は思うのです。
 仏様の教え、それは智慧ですね。
 私達は欲望(我欲)に執着したわがままな思いを最優先にして物事を差別しながら生活をしてはいないでしょうか。
 仏法の智慧とは、ありのままの自分を受けいれる智慧を賜ることだと思います。自分には自分の父母を選んで生まれたという意識は全くありませんが、この父この母を縁として願って生まれてきたということが仏法の教えを聞いていきますとはっきりと感じます。
 今、本当の親を替えられますか。我が子を替えられますか。兄弟を替えられますか。どんなに替えようとしても替えられることではありません。しかし実は、この環境を選んで、ここに生まれることを願って私たちは生まれてきたのです。即ち自分がここに人間として生まれて生かされていること、この事実に掛けられている阿弥陀様の願いを聞いていくことが問われてくる事なのです。私達一人ひとりが深い縁によって尊い命を授かっているのです。
 阿弥陀様は、誰一人として差別いたしません。教えを求める人は必ず一人ひとりに答えを用意されているのです。

 船橋昭和浄苑 黒澤 浄光

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