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2007年06月
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本当にしたいことが あったらそれをやれ

それで死んでも 悔いはなかろう

暁烏敏

 今月の法語は暁烏敏(あけがらすはや)先生の言葉に聞いて行きます。
さて、私共はそれぞれの人生で、日々次の四つの事柄に直面します。
 一つ目が、やりたくないこと。
 二つ目が、どちらでも良いこと。
 三つ目が、やらなければならないこと。
 四つ目が、やらずにはおれないこと。
だと思います。しかし「やらずにはおれないこと」以外は途中で疲れてしまいます。ところがこれが見つからない。先生の言葉では「したいこと」です。先生は職業や趣味等をいわれているのではありません。例えば皆様方が今まで歩んで来た人生を顧みたとします。その時何か物足り無い、充実感が無い、満足出来無いことはありませんか。もしもそうであるならば「やらずにはおれないこと」がはっきりしていないからでしょう。では「やらずにはおれないこと」とは何か。先生は「人間の本当の願いは仏(ぶつ)になりたいということだ。全ての人間は、そのことを願っているのだ。それが成就できない限り、人はたとえどうなろうとも満足できんのだ。それを自利利他円満(じりりたえんまん)という」と教えています。そこで仏とは何かということです。そこで仏とは何かということです。仏というと仏像や、亡くなられた方をイメージするのでないかと思いますが、先生のいわれる仏とはそうでは無く、自利利他円満の人をいわれているのです。これは自らの利益(りやく)を得ること、他人を利益することの両面をもっていることです。それが釈尊として象徴されています。我々は他人の為に自分を犠牲にすることが出来ない。自分のことしか頭にないのです。それには原因があります。その原因を念仏の教えを繰り返し聞いて自覚していかなければなりません。又、この自覚ということについて昔、先生にある青年が質問されたことがありました。その青年は先生に「先生、そんなただ気付くだけでは何もならないのではないですか。やはり、やめるとか、直すとか、正すよう努力することが大事なのではありませんか」と。すると先生は喝破して「自分のすわっとる場所が、糞溜の中だと気づかされたら、気づいたまんまでじっとしとるつもりか。気づきさえすれば、ひとりでに身が飛びすさるだろ。人間はそういうふうになっとるのだ」と。私共のやらずにはおれないこととは、自利利他円満の人と成ること。それは釈尊の後継者に成ることです。その後継者としての名を無量寿経では「弥勒(みろく)」と教えています。ですから真宗門徒の一番大切な親鸞聖人のご命日法要の報恩講(ほうおんこう)に弥勒のご和讃を唱和して、僧俗共にそのことを確認するのです。先生は私共に「後継者としての自覚以外に真の歩みは無いぞ」と教えています。その道程が果て知れず長くとも、それを実行して行くことを先生は「それで死んでも悔いなかろう」と励まされているのです。
加藤 順節

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