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2007年04月
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【語らざればうれい無きに似たり】

白隠禅師

「言わなきゃよかった」と思うことがあります。たくさんあります。それを言ったすぐの時。その一言を言う直前にも。または、言った後の次の日、あるいは何年もたってから。それにもかかわらず言葉は次々と、まさしく今、次々とあふれでる。そうかと思えば、しぼりだし、ひきずりだす。時に言葉は軽くなり、時に重くなる。自在に操っているかのようであやつられる。語ることでうれい、かなしみも生まれる。
「語る」を「聞く」に置き換えてみたい。聞かざればうれい無きに似たり。聞く、聞こえる、聞かされる。聞いたことで知ってしまう。知りたくないことでも知ってしまう。「聞かなきゃよかった」たとえ本当の事であったとしても・・・。逆に、「世の中のことは何でも知っておきたい」と思ったところでどうだろうか。その人の世界というものがはっきり線があるのなら可能かもしれない。しかし、そうはいかない。縁によっては、自分の世界だと思い込んでいるものなど「あっ」と無くなり変わっていく。何かの一言をきっかけに。
 言葉で表す事のむなしさ、語りつくせぬおもい。たとえば自分の身体の痛みを伝える事ができない様に、自分のおもいをすべて伝えるすべがあるだろうか。伝えたくても伝えられない。自己対話の中ですら表す事のできない感覚というものもあるのではないか。また、他者のおもいを聞き、すべて汲み取る事などできようか。語られる言葉では伝わらないが、目、表情、仕草、雰囲気、気配、呼吸、熱、空気など、感じる事でしか推し量る事のできないもの。言葉以外のところから滲みでてくるものを感じないだろうか。
 ある学者が亡くなった。近所のおばあちゃんが「いい人だったのにねぇ・・・。学問をやってなければねぇ。」とつぶやいた。という話を聞いたことがある。様々なことを聞き、語ったであろう親鸞聖人が御和讃に『よしあしの文字をもしらぬひとはみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり』と詠まれている。自分こそが『善悪の字しりがお』である、『おおそらごとのかたち』であると、自らの身をここにおかれているのではないかと私は感じる。語ることのうれい。聞いてしまったうれい。それでも語らずにはいられないおもい。これは、知識・経験から語られるものか、それとも、それを超えたものによって語らしめられたものなのか。今の私に語ることは出来ないし、これから先、感じるものはあったとしても、語ることは出来そうもない。
 実は、この【語れざればうれい無きに似たり】という一文は、臨済宗の僧、大燈国師の句に白隠禅師があとから句をつけたものと言われていて、良寛さんが好んで(下の二句を、「愁」を「憂」に置き換えて)書かれたり、芥川龍之介、太宰治など多くの方々が引用されています。
私はこの句、特に最後の一行は読むたびに受け取り方、感じ方が変わってしまいます。
千峯雨霽露光冷(せんぽうあめはれて ろこうすさまじ)
君看雙眼色  (きみみよ そうがんのいろ)
不語似無愁  (かたらざること うれいなきににたり)
谷山 周次

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